この四つ目の仮面は、鬼ではない。方相氏とよばれる鬼を追い払う役目の面だ。

鬼をただ退治するのではなく、問答し、鬼に穏便にお帰りいただくようお土産の酒とスルメを持たせるが、それでもダメなら豆を撒いて追い払う。

節分といえば、「鬼は外、福は内」。鬼が出てきて豆をまいて今年一年の幸せを願う習わしだ。みんなで豆まいて悪い奴をとっちめればハッピー!みたいな勧善懲悪ストーリーが分かりやすいせいなのか、北海道から沖縄まで全国各地で節分の豆まき行事は行われている。ちなみに節分の豆まきに使う豆は、大豆と落花生の二つに地域によって分かれていて、主に北海道・東北・信越・鹿児島・宮崎は落花生をまき、それ以外の地域は大豆をまくところが多いそうだ。

私の幼い頃の記憶にある豆まきの風景は、ちょっと風変わりだ。心の病を長患いしていた私の母が、家の中で青白い顔で一心不乱に豆をまいていた姿だ。

私は節分の時期にスーパーで売っている豆まきセットの赤鬼、弟は青鬼のお面を被せられ、母は「鬼は内、福は内」と豆を壁や床に叩きつけて叫んでいた。最後には庭に出て「鬼は内、福は内」とまた叫んで豆をまいた。2月の寒空の下、畑と家が併存する郊外の住宅街に母の声はよく響いていた。

子どもながらに、それこそ鬼の形相で豆を投げつける母がめちゃくちゃ恐ろしかったことをよく覚えている。

「鬼は内、福は内」。何を言ってるんだろう、と当時は思っていたけど、今ならそう言いたくなる気持ちもわからなくもない。

鬼は心の悪鬼でもある。この心に潜む貪欲、怒りや憎しみ、愚痴。仏教でいう最も根本的な三つの煩悩、貪・瞋・癡(とん・しん・ち)をのさばらせると、自分で自分をコントロール不可能になり自暴自棄になったり思いもよらぬ災いを引き寄せる原因となる。とはいえ完全に息の根をとめると言うのも難しい。内なる欲望やネガティブな感情は止めようと思っても湧いてきてしまうから困るのだ。だからこその「鬼は内、福は内」。心の病を持つ母としては、脳内の嵐が吹き荒れ混沌としていた自分の心象風景を表現していたとも解釈できるのかな、と今になって思う。

私が幼かった頃に方相氏を知っていたら、家の節分に来てほしい、とまるでサンタクロースを待つかのように切望しただろう。鬼役は子どもたちと替わって母が鬼になればいい。四つ目の方相氏に鬼と問答し、お土産を持たせてなだめて帰ってもらうように促してもらう。この役割は、今でいう精神科医や心理カウンセラーに近いのかも知れない。母の心の鬼が穏やかに帰ってくれたら、あの時の私はどんなにホッとしただろう。

私がもしメンタル不調の時に、方相氏にあの四つ目で睨まれたら、怖すぎて何もいえずに手に酒とスルメを持たされてすごすごと帰ってしまいそうだ。しかもツノも一本生えている。でも、方相氏の仮面をよく見ると、厳しい中にもどこか優しげで「仕方がないですねぇ」と合いの手を打ってくれそうな、四方を凝視する四つ目が描かれている。生きる上での姿勢を柔らかく正してくれそうだな、と勝手な妄想をする。

方相氏の面 東京都新宿区 中井御霊神社
方相氏の面 東京都新宿区 中井御霊神社