「薩摩硫黄島のメンドン」と呼ばれる仮面神は、「天下御免」の名の下にやりたい放題暴れ、島民は決してメンドンには逆らってはいけないと伝えられている。その舞台となるのは鹿児島県の硫黄島で毎年8月に行われる「八朔太鼓踊り」だ。メンドンの仮面にはぐるぐると渦巻きが描かれた大きな耳と羽虫のような目が造形され、ユーモラスな独特な魅力があり、赤と黒に塗られたコントラストの激しい渦巻き模様は、岡本太郎の絵画のようなプリミティブな熱気と狂気を感じさせる。腰蓑のような藁は秋田県男鹿のナマハゲにも通ずるものがある。

私はこの仮面神メンドンを一目見たいとの思いが募り、硫黄島を訪れるためにアクセスを調べた。島には宿泊施設が限られているし、東京から鹿児島へ移動し、さらに硫黄島に渡る船のチケットを個人で確保するのはお盆時期には難易度が高いことがわかった。そこで八朔太鼓踊り参加ツアーに申し込んだ。

硫黄島へのフェリーの中ではツアー参加者の皆さんと話して和やかに過ごしたが、到着した硫黄島港の海水は一面赤茶色に染まっていてギョッとした。何も知らずに一人だったら心細くなるような赤さだ。これは海底からの噴出物と海水が反応し、常時赤茶色に染まっているので特に問題はないそうだ。

島内を一周し、宿にチェックインし、温泉に入り、美味しい夕食を食べたところで、島民の方々が酒盛りしているのでよかったら一緒に飲まないかとお誘いいただき、喜んで参加することにした。フェリーの中で親しくなった女性と連れ立って島の夜道を歩いて行った。

島民の方々とカラオケをしたり踊りを習ったりして楽しい時を過ごしていたところ、豚足の味噌煮をつまみながら島のおじさんはボソボソと話し出した。

「奄美には『ケンムン』という妖怪がいて、ガジュマルの木の妖精でもある。これは硫黄島にもいて、あの道の先にある大きなガジュマルの木にもケンムンは出るっちゅう噂があるからよ、気をつけてな。まあ悪さはしないと思うけど」と小さく笑いながら島のおじさんは言った。

宴会から宿へ帰る道の途中で、私ともう一人の女性は道に迷った。迷うほど複雑な道ではなかったはずなのに、島は街灯が少なく暗いのでわかりにくい。女性と私は周囲をうろうろと彷徨い、ちょっと不安を感じはじめていた。二股の道の左右どちらに進むべきか、さっぱりわからず、仕方がないので二手に別れて探し、そしてまたすぐにこの郵便ポストの前に戻ってくる事を私たちは約束した。

私は恐る恐る、でも記憶を頼りに確かこっちだったはずだと思った方に進んだ。8月の南の島にしては涼しい夜で、長袖のパーカーを着ていても肌寒かった。ビーチサンダルに素足で歩くと未舗装の道の砂利の音だけが響く。しばらく歩くと、また二股の道が現れ、股の所に大きなガジュマルの木が島の小さな街灯に下の方から照らされ、鎮座していた。

夜のガジュマルの木は独特の雰囲気を醸していて、今にも話し出しそうだ。しかも、なんだかとても怒りを秘めているような威厳と圧迫感があり、その佇まいがあまりにも恐ろしいので、何かあったら言いなりになってひれ伏してしまいそうになる。確実に何かがいる気配を感じたが、それがガジュマルの存在感に圧倒された恐怖心からなのか、何かケモノが潜んでいたからなのか、なんなら件のケンムンなのか。私が身震いして、体がひとりでに激しく震えだし止まらなくなりその場から動けないでいる間、物影が動き、闇の中からどこからともなく小石が転がるコロコロという音とガジュマルの枝が風でざわめく音が響いていた。

翌日の八朔太鼓踊りは勇壮で素晴らしく、メンドンは想像していたよりもはるかにお手柔らかだ。愛嬌たっぷりに手にした神木(スッベン木)で踊り手や見物人を叩いて悪霊を祓い、私たちツアー参加者の人気者になっていた。

昔のメンドンは本当に容赦無く暴れるので恐ろしい存在だった、と島のおじさんは語った。かつて女性はメンドンの襲来を恐れ夜の間は納戸に隠れて怯えながら翌朝までやり過ごした、という話もある。島の夜の闇はありとあらゆる多種多様なものたちが存在感を増し、うごめいている。その禍々しさすら感じられる自然の闇の力がメンドンに宿るのだろうか、メンドンは悪霊を払うけれど、悪霊を退治する者に宿る大きな力とは一体何なのだろう。私は得体の知れない力に畏怖の念を抱きながら、八朔太鼓踊りとメンドンを眺めた。