日本列島の祭には1000年以上続くとされるものも少なくない。例えば大阪・住吉大社の御田植神事や、福岡・大善寺玉垂宮の鬼夜、京都の祇園祭などがある。1000年というとちょっとリアルには想像ができないけれど、滔々たる大河のような時間の流れ中には、神と人間を繋ぐ縦の糸があり、それはまた自然、もしくは土地の神と人間との繋がりを途切れさせないための甚大な祈りの力が織り込まれているのだろう。

五穀豊穣、京の鎮守、災難消除や開運招福などなどの御神徳の数々。こういった恩恵を受けられるのは、祭ったからこそだ。このような因果関係もあると考え、祭りは続いてきた。

地方のどんな小さな祭事でも、存続させるための地元の方々の努力を僅かながら知っているので、その大変さを察することだけは常に心がけている。でも、不謹慎ながら、100年200年300年、1000年後の祭りの姿を考える時がある。きっと、いつかは何かが変わる。それがどのような変化なのか、大きさも何もかも分からないけれど、人間が生きていく限り、変わっていくということだけは間違いない。だから、かたちにして残したい。そんな気持ちで古さの残る祭りを訪ねて回った。

鹿児島県いちき串木野市の「市来の七夕踊」が、2020年で最後の開催となる、との発表があった。結果的にコロナウイルス感染拡大を受けて最後の開催は延期されたので、最終は2021年になるのだろうか、2月2日現時点ではアナウンスはまだない。

広大な田園風景をバックに繰り広げられる、虎や牛の巨大な張り子が躍動し、太鼓踊りや琉球王行列、大名行列などのパレードが華やかな夏のエンターテイメント。田園らしい、のどかでおおらかで、ユーモアを感じさせてくれて、400年も続いていた素晴らしい祭りだったので、終焉の知らせにはガックリと落胆してしまった。こういった継続の困難さはどこの祭りでもあまり変わらない状況ではあると思う反面、祭り当事者でない限りは外部の人間としては何もできずに歯がゆい思いをするしかない。

やはり、できる限り現場に足を運ぶこと、実際に目にすること、何らかのかたちに残すこと。その地に生きた人々が祭事として残してくれたものから学べることは大きい。