怖いもの見たさ、という言葉があるけれど、私は怖いものが好きだ。私がいわゆる奇祭と言われるような珍しい祭りや伝統行事を訪ねる旅ににハマったのも、シンプルに怖いもの見たさという点は否めない。造形が風変わりで興味深く、どこか怖さのあるものに好奇心から惹かれてしまう。得体が知れないから怖いし、そこがまた謎めいて魅力的に見え、追いかけたくなる。ゾクゾクするような見た目の奇妙さや面白さがあると、これは一体どこからやってきたのだろうとずっと眺めていたくなる。

怖い仮面神が登場する祭りで、私が強くビジュアルで惹かれたのは、鹿児島県南さつま市高橋の「ヨッカブイ」だ。水神(ヒッチンドン)の祭りで、水難除けや集落安全・家内安全を願う。青年の扮する大ガラッパ(河童)の仮面神が、ガラッパ相撲を取る子ガラッパ(子供たち)の周りで、観客を笹の葉で祓い、悪いことをする子供たちを諭して回る。捕まった子どもは「かます」という袋の中に放り込まれる。現在は保育園に大ガラッパが立ち現われ、園児たちは恐怖で泣きわめき、阿鼻叫喚の現場となる。

私はヨッカブイを小さな頃に体験できる子供たちが羨ましい。私も、大人が用意してくれた安全な環境で「得体が知れないものがこの世の中には存在するということ」を学びたかった。その経験が、自然との関わり方や人間社会を渡っていく上での心構えを養うために必要なのかも知れないと思うからだ。

大人になって実際に「得体の知れないもの」に出会うかどうかは別にして、恐ろしいモノの存在を安全に体験するということは、ギリギリの状況に置かれた時の判断力に影響すると思う。これはひょっとしてマズいかも、という恐れのアンテナの経験値が高いために、慎重に行動することが抑止力となり、災難を避けられる一面もあるのではないだろうか。それは例えば、一つ一つの小さな選択を誤ったために起きてしまった海難事故や登山での遭難のようなケースかも知れない。

実際にヨッカブイは、大ガラッパによって袋(かます)に入れられた子供たちは水難事故に遭わず無病息災を約束されるという。また、ヨッカブイが終わった後しばらくの間は、子供たちは言うことを聞くようになるという。

恐怖は今やエンターテイメントとして映画や映像などで気軽に味わえる環境があるけれど、やはり実際にシュロを被った大ガラッパに袋に入れられてしまうという強烈な体験を味わうのは、映像よりもより鮮烈でリアルな記憶を脳に刻むだろう。

ヨッカブイは、恐怖を提供する恐怖体験インストラクター。現代では食育並みに社会に必要とされているのかもしれない。

そして実は一番得体が知れないのは、人間の内側に潜んでいる魔物だったりするのではないかな、と大人になった今の私はしみじみと思う。その得体の知れないものに対して恐れ、過度に妄想を膨らませたり、美化したりすることなく、ただただ現実を見つめる目を持っていたいものだ。